狂う人々。
日常生活を送る上でのルールブックは存在しない。
法律はルールを明文化しているが、ほとんどの人は実際に読むことはないだろう。
そして法律にかかれていることがすべてではないし、むしろ、書かれていないことがほとんどだ。
一体人は、なにをあたりまえと思って暮らしているのだろうか。
さも、自分は普通、常識的な人間だという顔で歩いている人が多いが、その実、少しずつ狂っている。
そのように感じるこの頃である。
あるショッピングセンターでエレベーターにのった。
そこは外国人観光客も訪れるような場所だった。
けっこう混んでいて、エレベーター内はひとでぎゅうぎゅう。
奥にベビーカーを押している男がいる。
入口付近にはアジア系の外国人のおばちゃん数人。
エレベーターのドアが開くと、そのベビーカーを押す男は、入口付近のアジア系のおばちゃんを、背後からベビーカーでぐいぐい押し始めた。
「いたい!いたい!」というようなことを外国語で言うおばちゃん。
ベビーカーを押す30半ばくらいの日本人の男は、意に介することなく無表情でグイグイ押し続け、脇にのいたおばちゃんに目もくれず、前進していった・・。
一瞬のできごとだったが、私ははじめ目にした光景を信じることができなかった。
「あんた、なにやってんだ」と注意することはできなかった。
その男は、一見するとそのへんにいるサラリーマンだし、傍らにいる妻らしき人物もいたって普通である。一見して、狂っているようにはみえない。しかし、その男、そして何事もないかのように傍らにいるその男の妻も、間違いなく、狂っている。
表面的にはごく普通な人間の革を被っているが、その中身は想像がつかない冷たさ、あるいは虚無。
そういう家庭の子供と、自分の子どもが同じ学校、同じクラスになる可能性があるということが、非常に耐え難いことである。
先日、区民まつりに行った。ある出店で、子供向けに無料で小さなチョコを配っていた。直径1cmほどの小さなチョコなのだが、大概の子どもはもらえるだけでラッキーとでもいうように、よろこんでいる。
ある家族連れの子どもが、そのチョコをもらった。
「なにこれ、信じらんない。見て。」
と親に言う。
その母は、
「うわー、ひどい。」
と、その小ささに文句を言う。
タダでものをもらっておいて、いちゃもんをつける。そして、それを恥とも思わない。
確実に狂っているのだが、親子間でその狂気は再生産され、受け継がれていく。
その家族も、一見するとごくごく普通である。
貧しそうにも、裕福層にも見えない、ほんとうにどこでにでもいるような、普通な感じである。
法律で罰せられるような、飛び抜けた罪を犯すわけではないが、狂っている人間がうようよいいる。
私自身、間違いなく狂っているところはあると思う。
無自覚のうちに人に不愉快な思いをさせていることだろう。
人間社会というものは、こうした混沌としたものなのだろう。
一皮むけば狂気。
他者とつながるために狂気を隠して、「普通」な振る舞いを心がける。
あなたも私も、狂ってる。それは当たり前のことだから、指摘するのはやめましょう、「普通」の共通の舞台でお話しましょう。
というのが、日常生活を送るためのルールかもしれない。