モラル

電車内で人のスマホ画面を見てはいけない、と思うのだが、見えるときには見てしまう。興味本位で。

ある日、私は電車で横並びの席に座り、スマホのメモアプリで思いついたことを入力していたのだが、その内容が「自由とはなにか。自由は必要か。」というあまりに壮大で恥ずかしい内容なので、隣の人に覗かれたら嫌だなと思い、ふと両隣を軽く見渡すと、左のおばさんは斜め前を男前な表情で見据えていて、右のおじさんは懸命にスマホをいじっていた。いずれも私のスマホには興味なさそう。「人のスマホ画面をのぞき見するような下世話な人は、実際はそんなにいないもんだ」と思いつつ、右隣のおじさんがスマホを膝上くらいにおいていたため、私の目線を少し右斜め下に落とすだけで、用意に画面が見えてしまうのだった。

まず、おじさんはラインをしているということが周辺視野により認識できた。そして、勇気を出してチラと画面にダイレクトに視線を落とすと、おじさんの相手方の文章内に「・・・そのような最低な思想に至るほどに混乱されたのですね。」との記述が見えた。この程度の文章量だと、一秒未満で認識できるものである。いけない!と思い、視線を自分のスマホに戻す。しかし、「最低な思想に至るほどに混乱」したおじさんとはどのような顔をした方なのだろうかと、自分のスマホ画面を鏡のように使い、おじさんの顔を見てみた。60歳位だろうか、さいとうたかお的なダンディな雰囲気を漂わせた劇画調のおじさんだった。ちょいワルブーム以前のちょいワル、旧世代のアズキルーペ的な雰囲気を漂わせていた。元ボクシング協会会長に極めて近い草刈正雄とでもいおうか。ともあれ、「最低な思想に至るほどに混乱」している感じはないし、まともな会社員とかではなさそうだけど、頭が悪そうでもなく、グレーな不動産取引をする程度の悪さを感じるだけであって、なぜ、そのような判定を相手からくらったのか気になった。

そこで、再度おじさんのスマホに目をやると、画面左上に相手の名前の表示がある「元愛人エリカ」と出ていた。(実際は「エリカ」という名ではなかった。念の為。)おそらくアプリはラインで間違いなく、そうだとすると、表示されている名前は、相手方が自分で設定したはずである。相手は自分で「元愛人」という肩書を付したわけである。さて、問題の「最低な思想に至るほどに混乱」という記述以前のメッセージは見えなかったが、おじさんが懸命に遂行している文章が見えた。「あの君が反社会的だと今になって評価するということは、君が私を捨て去ろうとしているからだろうか?」というような内容。どうやらおじさんは愛人に捨てられそうになっているようで、おじさんは愛人が思想を変えたことに苦言を呈しているようだった。私の勝手な予想では、これまで愛人関係という反社会的な関係を続けてきた元愛人とおじさんだったが、なにかのきっかけで、元愛人エリカから別れを切り出した。その別れの切り出しに対して、おじさんがなにか最低な屁理屈をこねたのだろう。おそらく、愛人関係を肯定、賛美するような。そのおじさんの理屈に対して、元愛人が「最低な思想」と評価を下したものだから、おじさんとしては、「いやいや、これまで愛人関係を許容してお互い楽しんできたじゃないか。何をいまさらきれいごとをいっているのか?」と反発した。という流れなのかな。

私ごときにはわからない奥深い世界ですが、おじさんの立場は苦しいと言うか、切ない。理屈でいくら正当性を主張しても、もはや彼女との復縁はありえないのではないでしょうか。

おじさんは、そのような文章を打ちながら、どんな顔をしているのだろうと、私のスマホに反射したおじさんの顔を見やると、涼しい顔をしている。とても元愛人とよりを戻そうとネチネチやっている人には見えない。あるいは、おじさんにとっては、このやりとりも遊び感覚なのかもしれない。いろいろと超越してるのかもしれない。

電車内でスマホをいじるときは、誰が見ているかわからないから、気をつけよう。見られている前提で、スマホをいじろう、と思ったのだった。