解像度と過去

写真の解像度は上がる一方であり、江戸時代末期の写真技術と今日のスマホカメラの性能は格段に異なる。

仮に、江戸時代末期からスマホが存在していたとしたら、非常に鮮明な写真が今に残ることになる。この場合、江戸時代末期について、もっと身近に感じるのではないか?

よくテレビなどで有名人の幼い頃の写真が出てくることがある。その人がうまれた年代によって、それは白黒写真であったり、カラーでもアナログだったり、20才程度の人の場合はデジカメで撮られたものだったりする。それらの写真のいわば解像度の違いによって、受ける印象は変る。解像度が低いほど、「昔感」が増す。いわば、解像度は、昔観、ノスタルジー感を演出する装置、技法に思える。

たとえば、今でも昔のカメラで撮影すれば、ノスタルジー感のある写真を取ることができる。スマホでもアプリで加工すれば、同様の演出をすることができる。

そんなことを考えてみると、なんとなくの感覚で、過去というものを捉えているけど、写真などの記録のテクノロジーによって、バイアスが掛かっているのだろうと思えてくる。

今後、一定以上の解像度で出来事が記録され続けるだろう。同時に、人の過去に関する感覚も変化していく。過去と現在がぐっと近づく。過去を切り離しづらくなる。それはよいのか、わるいのか。